テポドン・ミサイル発射(4月5日)、核実験(5月25日)、そして7月のミサイルの連射(11発)と、北朝鮮の対米姿勢は強硬一辺倒でしたが、8月になって北朝鮮が態度を豹変させました。
北朝鮮は、国連安保理の議長声明(4月13日)には「自衛的核抑止力の強化」で対抗するとして、凍結していた核施設を稼動させ、国連の制裁決議(6月13日)にはウラン濃縮作業とプルトニウムの兵器化着手を宣言し、大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射も辞さないと米国を挑発していました。
北朝鮮の一連の強硬措置は「オバマ政権はブッシュ前政権と何一つ変わってない」(5月4日の外務省代弁人声明)との認識に基づくものでした。ヒラリー国務長官から「北朝鮮は関心を引こうとする駄々っ子のようだ」と揶揄された際には「彼女は小学校の女子児童のようでもあり、時に、市場に出かける年金受給者のようにも見える」と応酬し、対抗意識を露にしていました。
韓国に対しても昨年12月1日の開城観光中断と陸路及び鉄道の通過制限に続き、今年1月には過去の政治・軍事関連合意の無効化宣言、そして3月には民間機の北朝鮮上空飛行禁止、軍の通信遮断、開城工業団地訪問の禁止など相次いで強硬な措置を取りました。李明博大統領に対しては昨年4月1日に「李明博逆徒」と罵倒して以来、人身攻撃の手を休めることは一度たりともありませんでした。
それが、8月になると突如一転し、柔軟な姿勢に転じました。「全面対決も辞さない」としていた米国に対して金正日総書紀は、クリントン元大統領の訪朝(8月6日)と引き換えに長期間身柄を拘束していた米人ジャーナリストを解放し、オバマ大統領に対話再開へのメッセージを発信しました。
また、韓国に対しても、現代グループの玄貞恩会長の訪朝(8月10日)を受け入れ、米人ジャーナリストと同じ時期に身柄を拘束していた現代グループの社員を韓国側に引き渡しました。同時に軍事境界線の陸路及び鉄道通行禁止などの一連の規制措置を一方的に解除し、韓国政府待望の離散家族の再会にも同意しました。
極めつけは、金大中元大統領の死去(8月18日)に際して側近の金基南(キム・ギナム)党書紀と金養建(キム・ヤンゴン)統一戦線部長を弔問団として韓国に派遣したことです。
弔問団の韓国派遣に合わせて世界各地の北朝鮮の大使館に韓国大使館を訪れ、弔問するよう訓令を出しました。南アフリカを皮切りに海外駐在の北朝鮮大使、公使らが続々と韓国大使館を訪れ、弔意を表しています。南北分断史上、北朝鮮大使館員が韓国大使館を訪れたのはこれが初めてです。
ソウルに到着した金基南書紀率いる弔問団は昨年3月に就任以来「反統一分子」と烙印を押していた玄仁澤統一部長官と、また大統領就任以来1年半も相手にせず、無視し続けてきた李明博大統領を表敬訪問し、金総書紀の口頭によるメッセージまで伝達しました。外交慣例上、メッセージが公開されることはありませんが、情報によると、金総書紀は「過去のことを水に流し、新たな南北関係を築こう」と呼びかけたそうです。
会談は当初、10~15分程度の予定でしたが、李大統領は30分も時間を割きました。金総書紀のメッセージが重要な内容を含んでいたからかもしれません。その証拠に李大統領と会談した金基南団長は「大変にうまくいった」と上機嫌で、帰国しております。劇的な変化を暗示させるような含みのある発言です。
北朝鮮の米韓両国に対する対決姿勢の転換が戦術的なものか、それとも戦略的なものか、見極めるにはもう少し時間を要しますが、何と言っても、8月6日のクリントン元大統領との会談が一つの転機になったと言えます。
金総書紀とクリントン元大統領が3時間近く話し合った会談の中身は依然として秘密のベールに隠されています。クリントン元大統領が金総書紀に伝えたオバマ大統領のメッセージの内容も、金総書紀のオバマ大統領への返書の内容も明らかにされていません。しかし、北朝鮮訪問に同行した、オバマ大統領就任前の政権移行チームの共同議長を務めたポデスタ元大統領首席補佐官は元大統領と金総書記との会談について「興味深い議論をした。「(報告を)どう受け止めるかは現政権次第だ」と意味深長な発言(8月12日)をしていました。
オバマ大統領は18日にクリントン元大統領から1時間に渡って詳細な報告を受けました。夫である元大統領の報告をヒラリー・クリントン長官が「非常に有益で、北朝鮮で何が起きているかを知る機会になる」とこれまた前向きな発言をしていました。
もう一つ、鮮明になったことは、「我々は北朝鮮に関係改善の道は開かれていると話してきた。そこには核兵器開発の中止や挑発行為を行わないことが含まれる」とオバマ大統領がNBCテレビのインタビュー(8月5日)で述べたことを北朝鮮が実行に移そうとしていることです。そして、オバマ大統領がクリントン元大統領から報告を受けた翌日に北朝鮮国連駐在の金明吉公使らがニューメキシコ市を訪れ、リチャードソン知事との会談(8月19日)を許されたことです。北朝鮮の国連駐在外交官は米国務省の許可がなければ、ニューヨークからは出られません。
金正日総書紀は2000年6月と10月に相次いで訪朝した金大中大統領とオルブライト国務長官に対して米朝が平和協定を結び、関係を正常化し、パートナシップを結べば、核を放棄し、反米を止めると自ら口にしていました。今回も、おそらくクリントン元大統領に同様の発言をした可能性も考えられます。
北朝鮮は来月16日に現在キャンペーン中の「150日戦闘」を終了します。有力後継者である三男・正雲(ジョンウン)氏が主導しているとされるこの運動を成功裏に収めることが最大の課題です。北朝鮮としては対米、対韓関係でも大きな成果を挙げることで有終の美を飾りたいとの強い思いがあります。「150日戦闘」の成否は後継者の擁立に直結するからです。
クローリー米国務次官補(広報担当)は8月20日、韓国、日本、中国、ロシアの利害を犠牲にする米朝対話は受け入れることはできないとし、米朝直接対話は6カ国協議の枠内で可能だとする従来の立場を改めて強調していましたが、オバマ政権が北朝鮮との直接交渉の必要性を感じていることは歴然としています。従って、6か国協議に先駆けての2者協議、あるいは6か国協議再開に向けての2者協議という大義名分の下で北朝鮮との協議に入ることも十分に考えられます。
北朝鮮もまた、米国との直接交渉の環境つくりとして、米国が働きかけていた韓国との関係修復に乗り出したのではないでしょうか。米朝直接交渉を開始するには米朝両国とも韓国の理解を得る必要があります。クリントン政権当時の1994年6月、核問題解決のためクリントン大統領の特使として訪朝したカーター元大統領の要請に応え、金日成主席が金泳三大統領(当時)との首脳会談に同意したケースと同じです。
カーター元大統領の訪朝を機に米朝、南北対話が開始したのと同じく、来月には米朝及び南北対話が並行して始まるかもしれません。米国が配慮している日本に対しても反発を和らげるため選挙が終わり、新政権が発足すれば、北朝鮮から拉致被害者の再調査開始のための交渉を求めてくることでしょう。
オバマ大統領及び李明博大統領への金総書紀のメッセージの中身が何か、6か国協議の議長である武大衛中国外務次官の訪朝(17-21日)結果と合わせて、来月にはその全容が明らかになるかもしれません。
北朝鮮はなぜ豹変した
- 2009年08月25日 00時00分
- コメント(0)
記事本文
執筆者プロフィール
辺真一
ジャーナリスト
1947年東京生まれ。明治学院大学(英文科)卒業後、新聞記者(10年)を経て、フリージャーナリストへ。1980年 北朝鮮取材訪問。1982年朝鮮半島問題専門誌「コリア・レポート」創刊。現編集長。1985年 「神戸ユニバシアード」で南北共同応援団結成。統一応援旗を製作。1986年テレビ、ラジオで評論活動を開始。1991年 南北国連同時加盟記念祝賀宴を東京で開催。北朝鮮への名古屋からの民間直行便開設に助力。1992年韓国取材開始。(以後今日まで二十数回に及ぶ) 1998年 ラジオ短波「アジアニュース」パーソナリティー。1999年参議院朝鮮問題調査会の参考人。2003年 海上保安庁政策アドバイザー。2003年沖縄大学客員教授。現在、コリア・レポート編集長、日本ペンクラブ会員。



ただいま取得中です








投稿するにはログインが必要です。ログイン後、このページをリロードしてください。
新規登録はこちら